サッカーの国イタリアにおけるトップリーグであるセリエA。
イタリアだけでなく、世界中のサッカー選手の憧れのひとつですね。
そんなセリエAで、日本人も活躍できる時代になってきました。
そこで、これまでにセリエAに在籍していた日本人選手について簡単にまとめていきます。
※冬の市場で移籍した場合の注意
例えば、2018年1月でクラブを去った場合は、在籍年を2017までで表記しています。
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三浦知良(1994-1995)
クラブ | 在籍年 |
---|---|
ジェノア | 1994-1995 |
セリエAに所属した初の日本人であるだけでなく、初のアジア人でもあるキングカズ。
多くの日本人の期待を胸にイタリアに渡るものの、デビュー戦で骨折してしまう不運に見舞われてしまいました。
当時はまだアジア人への扱いが今よりも悪かったせいか、21試合に出場するものの先発出場は10試合となっています。
しかし、このキングカズのセリエA挑戦は、後の日本人選手に大きな希望とチャンスを与えたと思います。
中田英寿(1998-2005)
クラブ | 在籍年 |
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ペルージャ | 1998-1999 |
1999 | |
ローマ | 2000 |
2000-2001 | |
パルマ | 2001-2002 |
2002-2003 | |
2003 | |
ボローニャ | 2004 |
フィオレンティーナ | 2004-2005 |
敗れはしたものの、フランスW杯での活躍が世界に認められてイタリアへ。
セリエAデビュー戦で、いきなり強豪ユヴェントスから2得点をあげたのは衝撃でした。
ローマではトッティの控えという立場ではあったものの、山場のユヴェントス戦でゴールを奪い、ローマのセリエA優勝に貢献。
日本人として初めてのセリエA優勝メンバーになりました。
パルマ時代もコパ・イタリアの決勝でユヴェントス相手にゴールを決めて優勝に貢献するなど、ここぞという時に強豪ユヴェントスからゴールを奪う印象でしたね。
名波浩(1999-2000)
クラブ | 在籍年 |
---|---|
ヴェネツィア | 1999-2000 |
長らくジュビロ磐田や日本代表を牽引したレフティのイタリア挑戦は、成功といえるものではありませんでした。
監督の交代や降格の影響もあり、1シーズンで日本に戻ることになります。
中村俊輔(2002-2005)
クラブ | 在籍年 |
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レッジーナ | 2002-2003 |
2003-2004 | |
2004-2005 |
強豪とは言い難いレッジーナではあるものの、背番号10番を背負って中心選手として躍動。
安定した出場機会と活躍でクラブに対して大いに貢献したと思います。
その実績が認められて、名門セルティックへの移籍と活躍に繋がるわけですね。
柳沢敦(2003-2006)
クラブ | 在籍年 |
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サンプドリア | 2003-2004 |
メッシーナ | 2004-2005 |
2005-2006 |
日本ではストライカーとして安定した成績を収めていたものの、セリエAでは無得点に終わっています。
イタリアでは、コパ・イタリアであげた1得点のみですね。
小笠原満男(2006-2007)
クラブ | 在籍年 |
---|---|
メッシーナ | 2006-2007 |
不遇ともいえる少ないチャンスの中で得点を決めたものの、1シーズンのレンタル期間だけイタリアで過ごして鹿島に復帰。
大黒将志(2006-2008)
クラブ | 在籍年 |
---|---|
トリノ | 2006-2007 |
2007-2008 |
フランスのグルノーブルでの実績をもとにセリエAに挑戦。
しかし、出場機会に恵まれず、ほとんど出場できないまま日本に帰国しました。
森本貴幸(2006-2012)
クラブ | 在籍年 |
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カターニア | 2006-2007 |
2007-2008 | |
2008-2009 | |
2009-2010 | |
2010-2011 | |
ノヴァーラ | 2011-2012 |
カターニア | 2012 |
当時のJリーグ最年少記録を次々を打ち立て、和製ロナウドとも呼ばれた森本は早い段階でセリエAへ挑戦。
怪我などに泣かされるも、徐々にカターニアで安定した出場機会を得て活躍。
中田同様、ユヴェントスからゴールを奪ったことも。
ノヴァーラ時代は、長友擁するインテルとセリエA日本人対決が実現して勝利に貢献。
しかし、その後は徐々に低迷し、古巣カターニアに復帰後も怪我の影響などで、長年過ごしたイタリアをあとにした。
長友佑都(2011-2017)
クラブ | 在籍年 |
---|---|
チェゼーナ | 2010 |
インテル | 2011 |
2011-2012 | |
2012-2013 | |
2013-2014 | |
2014-2015 | |
2015-2016 | |
2016-2017 | |
2017 |
チェゼーナに移籍したのもつかの間、2011年1月の移籍市場最終日にインテルへ電撃移籍。
持ち前の明るさでチームメイトやファンの心をあっという間に掴んで、チームにフィットしていったのはさすが長友です。
技術的に足りないところをフィジカルとメンタルでカバーしてポジションを確保。
安定した出場機会を得るとともに、DFでありながら得点に絡むことも多くありました。
監督や選手の入れ替わりが多い中で、長期に渡ってインテルに在籍できたのは本当に素晴らしいことだと思います。
あまりタイトルには恵まれませんでしたが、中田と並んでセリエAで成功した日本人といえるでしょう。
本田圭佑(2014-2017)
クラブ | 在籍年 |
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ACミラン | 2014 |
2014-2015 | |
2015-2016 | |
2016-2017 |
オランダのVVVフェンロー、ロシアのCSKAモスクワでの輝かしい実績を提げて、満を辞して名門ACミランへ入団。
自ら希望したとされる背番号10番をつけるなど、本田らしいセリエA挑戦の幕開けとなりました。
インテルの長友とミラノダービーにおける日本人対決を実現。
技術や勤勉さなどを認められて出場機会には恵まれたものの、大きな実績を残したとは言えないため、結果的にファンやフロントの信頼を勝ち得るには至りませんでした。
フロント批判とも言える発言も注目を浴びましたね。
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