大リーグボール3号は、巨人の星の最後を彩る究極の魔球。
何と言っても、バットを避けて通る魔球ですからね。
で、注目したいのはこの魔球のドラマで語られる、巨人の星の男の美学!
そして、子が父を超える熱い物語として語られているのです。
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大リーグボール3号は、父を超えた飛雄馬の象徴
ここで、大リーグボール3種類を比べてみましょう。
1号:バットに当てる魔球
2号:消える魔球
3号:バットを避ける魔球
物語の中で一徹が語っていることですが、1号は一徹仕込みのコントロールがあって初めて成り立つ魔球。
2号は、一徹が巨人を退団する原因となった魔送球が下地。
どちらも、一徹が飛雄馬に教えた野球技術から生まれたものです。
ところが大リーグボール3号は、下手投げでしかもノーコン。
バットを避けて通るというのは父一徹が教えた技術にはありません。
一徹も、完全に父を超える魔球と認めるほどです。
そして、一徹は泣きます。
子が完全に親を乗り越えて対等の敵となる
父親の喜びこれに勝るものなし
大リーグボール3号誕生から活躍までの足跡2h>
京子が投げたリンゴを左門が取れない事件
大リーグボール3号誕生には、京子と左門が関わっています。
新幹線の中で偶然出会った左門と京子。
京子が左門にリンゴを投げると、左門は2個連続で取ることができません。
この時京子は小指の神経が切れて動かなくなっており、これを見ていた飛雄馬は、大リーグボール3号のヒントを得るのです。
オールスター戦で大リーグボール3号を試す
飛雄馬は大胆にも、オールスター戦で全パを相手に、大リーグボール3号を試します。
相手は、野村、アルトマン、張本のクリーンナップ。
ちなみにこの年(1970年)の3人の成績は以下の通り。
野村: 打率.295 42本 114打点
アルトマン: 打率.319 30本 77打点
張本: 打率.383 34本 100打点
そうとうなクリーンナップです。
それを相手の星の大胆行動・・・。
しかも何と、三者連続三振!!
ベンチに帰ると、飛雄馬は、精根尽き果てて倒れてしまいます。
オールスター後の巨人-大洋戦で左門と対戦
ちょうど京子への恋煩いで悩んでいた左門。
この日、左門には飛雄馬が大きく見えます。
大リーグボール3号を投げ込む飛雄馬。
左門がいくらバットを振っても当たりません。
結局、1安打完封の完璧なピッチング。
しかし、試合後ベンチに戻る時によろめきフラフラ。
インタビューにも答えない飛雄馬に周囲も唖然とします。
左門は、大リーグボール3号を、こんな風に表現しています。
いいようのなかはぐらかされたごとある”むなしい”感じ
あれは勝利投手の顔じゃなかとです!
巨人-阪神戦で、花形が大リーグボール3号に隠された悲劇を見抜く
続いて、花形も大リーグボール3号と対戦します。
しかし花形にも全く打つことができません。
試合後、テレビのインタビューに応じた花形はこんな風に言っています。
一見静かに淡々と見えて、その実かつて星が甲子園で投げてきた血染めのボールそのまま・・・
血染めだ、血にまみれている
結局、大洋戦を最初に、ヤクルト、広島、阪神を4試合連続で完封、さらに中日戦では7回からリリーフして3回を完封と、鬼神のごとく快投を続ける飛雄馬。
しかし、その左上では、破滅へと向かっていたのです。
大リーグボール3号によって、左手がどうなったのか?
左腕に、自覚症状がありながら投げ続けた飛雄馬。
医師の診断を受けたところ、前腕にある8個の屈筋、11個の伸筋(指の働きを司る)がボロボロになっていました。
京子の下手投げをヒントに、下手投げのフォームから、親指と人差し指だけでボールを押し出すという不自然極まりない動きをしていたため、指の働きをつかさどる筋肉をボロボロにしてしまったのです。
医師からは、このまま投げ続ければ、ピシッと音がして、伸筋と屈筋が切れ、左手の指は永久に動かなくなると宣告されます。
飛雄馬の美学が心にしみる
さて、なぜ飛雄馬がここまで自分を追い込んで投げ続けたのか?
それが、ラストを彩る左門への手紙に記されていました。
飛雄馬の生き様の根幹を培っていたものの一つが、坂本竜馬の「死ぬ時は、たとえドブの中でも前のめりに死んでいたい」という言葉。
実はこれ、飛雄馬、速球投手としてプロでは通用しないという壁に当たっていた頃、一徹が飛雄馬に教えた言葉なのです。
その時、飛雄馬は、
とうちゃんから色々教わったけど、いまのが最高だ。
熱い男の血潮をもろに浴びたみたいだ
と言って泣きます。
飛雄馬は、回復のみこみがないという予感はあったが、前のめりに死ぬ道を選んだのだと医師にも伝えています。
父の教えの根幹は、しっかりと飛雄馬の中に根付いていたのですね。
手紙の中でも、
大投手の素質に恵まれなかった男が、たとえ一時の花火でも大投手たるには、巨人の星たるにはもはやこの破滅の魔球にかけるしかなかった
と、熱く、そして覚悟を決めた男の生き様を語っています。
大リーグボール3号によって、巨人の星は子が父を乗り越える物語だったと悟った
巨人-中日の最終戦で、飛雄馬は、判宙太と父一徹コンビと勝負します。
最後は、微妙な判定によって、パーフェクトが達成されたのかどうかが謎のまま・・・。
しかし最後に、父一徹は、こう言います。
わしら親子の勝負は終わった!!
いま お前はパーフェクトにわしに勝ち、この父を乗り越えた
巨人が日本シリーズ6連覇した1970年の出来事です。
このシーンを読んで、
あ〜、この物語は、子供が父を乗り越える話だったのだな
と思いました。
俗に、守・破・離という言葉があります。
幼少期から大リーグボール完成までが「守」の時代なら、父一徹が中日のコーチに就任し、オズマ・判によって飛雄馬を倒そうとしたのが「破」の時代、そして大リーグボール3号がまさに「離」の時代を象徴していたのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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