チョコレートの有名ブランドといえば、ゴディバなどヨーロッパのブランドが思い浮かびますね。
けれど、チョコの原料であるカカオの原産は中南米、そして現在ではアフリカが主要な生産地…
では、どうやってチョコレートはヨーロッパに広まっていったのでしょうか?
ここでは、チョコレートの歴史を簡単にまとめて紹介します!
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チョコレートの甘くない歴史
チョコがヨーロッパで普及するまで
チョコの原料となるカカオは、中央アメリカ〜南アメリカが原産地。
では、一体どのようにしてチョコがヨーロッパで広まっていったのか?
簡単にその流れを見ていきましょう!
-チョコレートに出会った最初のヨーロッパ人はコロンブス-
1502年、コロンブスが中央アメリカに到達した際、現地の人々がカカオをとても大事にしていることに気づきます。
しかし、コロンブスがチョコを口にしたという記録はないそう。
-チョコレートがスペインに伝わる-
チョコがいつヨーロッパへ伝わったのかの正確な記録はありません。
最も古い記録によれば、1544年にマヤの使節がフェリペ皇太子を訪問した際に、チョコレート飲料を用意していたとあります。
-甘いチョコレートの発明-
当時のチョコは唐辛子を大量入れたもので、あまり人気がありませんでした。
しかし、スパイスを砂糖に代え、甘くしたことで、スペイン中に広まっていくことになります。
-チョコがヨーロッパ中に広まる-
スペイン王女アナがフランス王ルイ13世と結婚したことで、チョコがフランスへも伝わります。
その後17世紀後半にイギリスにも伝わり、ロンドンで最初のチョコレートハウスがオープンしました。
これを機に、チョコは上流階級の間で評判となり広まっていくことになります。
-ココアパウダーが作られる-
1828年、オランダ人のヴァン・ホーテンがカカオ豆からカカオバターを取り除いて、ココアパウダーを造る方法で特許を取得しました。
お湯に溶けやすく口当たりが良くなったおかげで、チョコはさらに普及することになります。
この時点では、チョコはまだ飲み物として一般的だったんですね。
-ミルクチョコレートの誕生-
1867年、スイス人のダニエル・ピーターがチョコに粉ミルクを加え、ミルクチョコレートを発明します。
この時チョコの製造・研究に協力したのが、隣に住んでいたアンリ・ネスレ。
そう、世界最大の食品会社である、あの有名な「ネスレ」の創業者です。
こうして、ようやく私たちが今食べているようなチョコが出来上がったというわけ!
ざっくりまとめると…
スペイン→フランス→イギリス→オランダ→フランスによってチョコは普及していったんですね。
チョコと植民地の関係
こうしてチョコはヨーロッパで普及していったわけですが、世界中に広まった背景には植民地との関係があります。
現在、チョコの原料となるカカオの主要な生産国はアフリカの国々が占めています。
しかし、カカオはもともと中央アメリカ辺りでしたよね。
なぜ、アフリカでカカオ栽培が広まったのかというと…
-奴隷制度でのプランテーション農業-
ヨーロッパでチョコレートが普及し需要が拡大すると、ヨーロッパ諸国は生産量を上げるため、植民地である中南米でプランテーション農業を行いました。
そこでは、アフリカから連れてこられた奴隷たちを酷使し働かせていたのです。
-カカオの生産量が激減-
19世紀になると、カカオの生産量は激減します。
原因は…
- 奴隷への過重労働・虐待による生産人口の激減
- シモン・ボリバルによる南米での独立運動
- カカオ豆の疫病が広まったこと
など、いろいろな要因が挙げられます。
-アフリカでカカオ栽培はじまる-
その結果、カカオの生産はアフリカへと移ることになります。
カカオ栽培は「カカオ・ベルト」と呼ばれる、赤道を挟んで南北緯20度以内のエリアに限定されます。
そこで、中央アメリカと同じく、このカカオベルトに位置する植民地=アフリカが選ばれました。
こうして、コートジボワールやガーナなど、現在でもアフリカの国々ではカカオの栽培が広く行われているのです。
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